心象風景

祭りと日本人

2020/07/22

熊谷うちわ祭り

熊谷うちわ祭り

毎年この時期になると、特別祭り好きでもない私が「何故血が騒ぐのか」と不思議な感覚を覚える。

先祖から受け継がれたものがあるのか、街全体が非日常になるので特別なのか、祭囃子の音色に影響されるのか…。
そしていつもカメラを持って山車の様子を見に行く。

写真の被写体としての面白さもあるが、子供や若者が各地区に分かれた山車や屋台に乗って、鉦・笛・太鼓を演奏する姿を見るとなんだかうれしくなる。
このために練習してきた子供達は、意味は分からなくても地元のために頑張っているし、そこに人と人との繋がりがあり、地域が結束する、そんなところに惹かれるのかもしれない。

面白いことに、熊谷うちわ祭りのサイトには、12の山車・屋台にGPS端末が設置してあり、今どこにいるのか分かるようになっている。

熊谷うちわ祭り:http://uchiwamatsuri.com/
山車・屋台位置情報:https://uchiwamatsuri.multisoup.net/

祭りと日本人

日本人は無宗教だと言う人もいるが、本来とても宗教性が高い民族だと思う。
むしろ多宗教で何でも受け入れているが故に、無自覚なのではないか。

祭りはそもそも宗教儀式であるし、日本では神道由来のものが多い。
私の勝手な解釈では、神道の源流は自然崇拝(アニミズム)であり、多神教だ。つまり海の神、山の神…、どこにでも神様がいるといういわゆる「八百万の神」のため、ユダヤ教・キリスト教などのいわゆる一神教の立場からは、未開でレベルの低い宗教と蔑視されてきた。

「神様はお一人の方」という考えからすれば、「八百万の神」は受け入れられない、という気持ちは分かる。
ただ、道端に咲く名もない小さな花にも手を合わせる、お米一粒に三人の神様がいると言って自然の恵みに感謝し、畏敬の念を持つ、そのようなメンタリティには私も共感できる。

太陽神にいけにえを捧げたり、豊穣の神を信仰するために祭りで男女が乱交したりする負の遺産。そもそも教えのない宗教のため、シャーマンが受けたお告げによって国を治めるような宗教は、問題が多いし今の時代に合わない。かといって、立派な教義を持ちながらも排他的になり、過去には植民地と奴隷制度、今は民族主義になって戦争、という宗教も正しくない。

日本人は一つの宗教に染まっていない特殊な民族だけに、正しい神観・宇宙観と、様々な価値感を受け入れる寛容な精神性さえ持てれば、宗教や民族の壁を超えて世界に貢献できる能力を秘めているのではないかと、密かに感じている。



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